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経済思想期末レポート  グローバル化による移民労働者の発生構造

――なぜスペインに移民が集まるのか――

17060151 経済学科

新井隆之

 

1.序論

 

 移民という言葉はあまりいい響きを感じさせない。その言葉の背景にさまざまな悪い事象を浮かべるからだろう。スペインにおいても決していいものではなくなってきた。アフリカから命がけで海を渡る青年たちが向かうスペインは、今や移民が全人口の10%になる。この数字はヨーロッパ内では最も多い数だ。

本文は第2章でグローバル化による移民労働者の創出パターンを扱う。1970年代から80年代のアメリカの事例をもとに、多国籍企業と都市が主体となって移民労働者の予備軍を形成している過程を論ずる。第3章は前章を踏まえてスペインの状況を検討する。第4章は結論を述べる。

 

 

2. グローバル化による移民労働者の発生

 

 移民労働者の発生にはさまざまな要因が考えられるだろう。人口増加、貧困、経済悪化などはその例であり、そう言われれば納得してしまうであろう。しかしサスキア・サッセンは生産の国際化を背景とした多国籍企業の活動ないし都市の影響力が移民労働者の予備軍を形成すると指摘する。彼女の主張は1970年代から1980年代までのアメリカをもとにしている。この章ではそのアメリカの事例に基づき、グローバル化による移民労働者の発生原因を、移民の供給側と需要側の両面からおっていく。

 

2.1 グローバル化

 グローバル化はどういった意味を持つのか。大衆消費社会の世界的浸透、巨大企業による世界統合など、さまざまな言葉を生み出すメッセージである。そのグローバル化という意味の中で、移民労働者も一種のメッセンジャーと言えるだろう。なぜなら彼らは国境という壁を越えていく印象を受けるからである。

移民労働者がなぜ問題となるのか。大塚は「国民国家の羅針盤に狂い」を生じさせるもの、つまり近代がつくりあげた国民国家が決定づけていた仕組みに矛盾が生し、それが取り巻く壁を壊そうとするものという(1)

しかし矛盾を提示したのは彼らだけでない。それは生産の国際化を推し進めた多国籍企業である。一国で全てをまかなう社会から、原材料はアフリカ、中間財の生産はアジア、消費地はアメリカと、モノやサービスが国境を無視していきかう社会へと変わっている。利潤最大化を目的に生産の国際化を進展させた彼らもグローバル化を体現している。

もう一つグローバル化を象徴するものがある。それは都市である。リチャード・フロリダは、フロリダは夜間の地球における光量を使った分析を用いて、世界に20から30しかない東京やニューヨークなどの諸都市はグローバル経済を支え、人々を寄せ付ける力を持つという(2)(2)。その分析では東京が頂点とされていたが、東京も海外とのネットワークを持つ企業の中枢部を担っており、マンガやオタク文化の発信地でもある。これもグローバル化の演出者と言える。

グローバル化は、多国籍企業と都市が主体となって国民国家が保持していた領域の破壊をもたらしているのではないか。これに移民を関連付けるならば、移民を送り出す地域では多国籍企業によって、移民を受け入れる地域では都市によって、移民労働者は発生すると考えられる。

 

2.2 移民移動の原因

 移民労働者の発生要因として考えられているのは、発展途上国においての人口増加、貧困、経済発展などが考えられる(3)。しかしこれらは決定的な要因とは言えない。

 まず人口に関してだが、人口増加率が高い国が必ずしも労働者を供給しているわけではない。次に貧困だが、確かに高い賃金を獲得しようと移民を押し出す要因と見えるが、貧困の状態にある国すべてが、必ずしも移民労働者を送出するわけではない。アメリカへの多くの移民を送り出したハイチやドミニカ共和国は、それぞれ1960年代、70年代にその移動が始まったのだが、それ以前から高い失業率を出していた(4)。貧困も決定的な要因とは言えない。経済成長も同様に、経済状況が良くない自国から成長している外国へ仕事を探しに行くことは通常だと考えられるが、1970年代から移民労働者が増えたメキシコやドミニカ共和国は、1970年から1980年までのGDP成長率はそれぞれ約二倍、約四倍を示している(5)

では何が国際労働移動を促進するのか。サスキア・サッセンは、先に述べた要因に、「イデオロギー的なつながりの形成という条件とが結びついたとき、それがおそらく移民を誘発する要因として作用する」と指摘する(6)。そのつながりの形成として、生産の国際化を目指した多国籍企業による海外直接投資が大きな影響をもつという。もしそうであるなら、多国籍企業が主体となって引き起こすグローバル化というものが、移民労働者を発生させる大きな要因となる。次に移民の送り出す側と受け入れる側に分けてみていく。

 

 

2.3 移民供給の原因

まず移民を創出する側からおっていく。1970年代に大量の移民がアメリカに流入してきた。しかしアメリカは長い不況と高い失業率に苦しんでいた。なぜこのような事態が起こったのだろうか。

1960年のアメリカの移民流入は、約26万人で、1970年には約50万に達し、1980年は約100万を記録している。移民の出生地域を見ると1960年ではヨーロッパから来た移民が半数を占めているのだが、1980年では、アジアや中南米から来た移民がそれぞれ44%、35%を占める。ちなみにアジアからはフィリピン、韓国、台湾や中華人民共和国、インド、中南米からはメキシコ、ドミニカ共和国、ジャマイカ、コロンビアという国から構成されていた(7)

きっかけは1965年の移民法改正であった。この目的はアメリカに移民を送り出してきた地 域からの移民を優先的に受け入れること、そして労働者不足に悩む産業に移民労働者を投入することであった。つまり想定していたのはヨーロッパからの移民であって、その後の状況は政府の意図しないものであった。だがこの移民法改正はあくまできっかけであり、フィリピンやメキシコからの移民がアメリカに大量に流入するには、下拵えが必要であるはずだ。その準備段階を伊豫谷は「労働力のプール」と呼んでいるのだが、プールに水が貯まるまでの状況を移民の供給側と需要側という二つの側面からみていくとする(8)

供給側について観察すると、以下の三つのことが言える。

 一つは、発展途上国の輸出指向型開発である。1960年代後半から多国籍企業の生産立地の移動が始まる。輸出拡大で経済発展を遂げようとする発展途上国と、安い労働力でコスト削減を図りたい多国籍企業の利害が一致することで、生産の国際化が進められた。OECDによると1970年と76年のアメリカの発展途上国における民間直接投資残高は230億ドル、369億ドルを記録している。多国籍企業を通じたアメリカの海外直接投資は増えていった。

その結果、発展途上国の雇用は増加した。1968年から75年の先進国と発展途上国の雇用成長率を見ると、先進国は伸び悩んでいるのに対し、発展途上国では5%から15%と高い成長率を出した。しかしその一方で農村社会の解体を引き起こし、農村から都市へ移動が始まった(9)

 二つ目が農村から都市への労働移動である。これには二つの特徴がある。

一つは、農村社会の解体における過程である(10)。農村社会は内的に再生産するシステムをもち、人々の生活を保障する機能を備えていた。生存に不可欠な食糧や、日常必需品、またそれを再生産する財が農村には整っていたのである。しかし多国籍企業の生産の国際化により、段階的に崩壊する。最初は強制的な一次産品生産である。租税賦課や土地所有権の設定により、市場向け商品を生産することとなる。第二段階は、農工間の分業である。日用必需品が工業製品に代替され、一次産品生産が市場の再生産に組み込まれることを意味する。そして第三段階は、全面商品化である。つまり食糧までもが買え、農村の生活保障機能が衰退してしまう。農村社会の解体はある程度の違いはある。兼業農家がその例である。しかし多国籍企業の浸透は、農村から都市への労働移動に大きな影響を与えている。

 他方は、工業労働力の女性化である(11)。輸出向けの製造業において女性の雇用が多く生み出された。特に輸出加工区において女性労働者の集中は著しく、マレーシアの加工区では労働者総数の95%が女性であった。だが多国籍企業は常に若い女性労働者を要求し、彼女たちは劣悪な環境での労働が強いられたため、輸出加工区における女性の平均就業年数は5年であった。賃金についても輸出加工区とその他の国内経済の間に差はなく、むしろ「訓練生」として雇われ、異常に安い賃金で働かされることもある。つまり、女性の製造業における雇用は低コストを求める企業側の利己心によって創り出されたのである。

こうして農村から都市へ流出してきた労働者は、いよいよ移民の選択を考え始める(12)。海外投資が発展途上国の農村から都市への労働移動を起し、移民という選択肢が彼らの中で出てくる。「労働力のプール」が形成されるのはまさにこの時である。そのプールを溢れさせるのは、多国籍企業を通じた先進国とのイデオロギー的なつながりである。1965年の移民法改正は、彼ら労働者にはアメリカが好機のある国と思わせるものだったのだ。

 

2.4 移民需要の原因

 生産の国際化はアメリカにとって産業構造の変化を意味した。この動きにより都市はこれまでと違った顔を持つこととなる。経営管理の集中と労働所得の格差がそうである。この二つが移民労働者をひきつける力となっていった。

都市への経営管理能力の集中は生産の分散化によるものだが、まずなぜこれが必要だったのか。二つ要点があげられる(13)。一つは大企業の消費者向け市場参入である。大企業は売り上げ向上を目指すために、広告を行って購入意欲を高め、所得のないために見込みの無かった人々へ消費者金融を行う必要があった。こういったサービスをサッセンは「生産者サービス」と呼んでいる。そしてもう一つは、そのためのコスト削減である。そうでないなら国際化する必要はないはずである。

 次に生産の国際化を背景とし、なぜ都市への生産者サービスの集中化が進んだのか。

そもそも他のサービスのように購入者の近くに隣接する必要がないからである(14)。企業はコスト削減を目指すなら、最終算出物としてのサービスよりも、生産過程における中間的産出物に重きを置くほうが合理的と考えるはずだ。

またこういったサービスは複数の組み合わせが生じてくる(15)。生産規模の拡大では金融や保険というサービスが、製品やサービスの売上を伸ばすために広告サービスが必要となる。その状況下では、サービスの供給を行う他の企業と隣接した方が企業としてのメリットが、相乗効果が得られる。密集による経済性が都市への集中を促すのである。

 さらに都市は労働構造にも手を加えた。ここで前述した衰退のフロストベルトと成長のサンベルトにおいて、それぞれの代表的な都市であるニューヨークとロサンジェルスに視点をあてる。

ニューヨークは製造業の落ち込みが激しかった(16)。ニューヨーク市において主要産業別雇用数を見ると、1970年の374万人から1980年の330万人へと雇用水準が低下しており、中でも製造業の落ち込みが激しく76万人から50万へ減少した。しかしこういう状況下でもカリブ海域からの移民は絶えなかったのだから、雇用は違う産業によって生み出されていたはずである。それを担ったのがサービス業であった。ニューヨーク全体から見ると、確かに製造業の雇用は落ち込んだが、サービス業はむしろ上がっていた。雇用数を示したデータを見ると、1970年の78万人から1980年は89万に上昇していた。また金融や広告などの生産者サービスも1970年代後半から雇用が増え、1977年から81年まで20%の成長率がみられた。一方ロサンジェルスでは、周辺の郡を合わせると同時期に製造業の雇用者は225万5千人も増加した。特に航空宇宙産業と電子産業というハイテク産業においての雇用数は、1970年に50%の成長を見せる。

対照的と思えるこの二つの都市には賃金格差が見るという共通点があった(17)。ニューヨークで成長をみせたサービス業の中には、高度な知識や技術が要らない職業があった。例えば、ウェイターといったものである。今まではアメリカ国内の黒人が担った職業だが、1960年以降の社会運動は彼らをそういった仕事から解放し、代わりに移民労働者が請け負った。他方金融などの高賃金所得者が増えることで、彼ら向けの高級サービスの需要が増える。サッセンはこれを「非公式経済部門」と呼ぶが、具体的には使い走りなどのデータには載らないものが行われたという。ロサンジェルスではハイテク産業の隆盛がみられたのだが、それは労働集約的であった。単純で反復的な組み立てラインの操業で多くの労働者を必要とし、発展途上国で行われたものと変わりは無かったのだ。

 

2.5 結論

 移民労働者が発生するには、供給サイドと需要サイドの双方において要因がある。しかしそれらをつないでいるのは、今までみてきたように多国籍企業と都市である。前者は農村から都市への労働者移動を引き起こし、イデオロギー的つながりを形成することで、「労働力プール」を溢れさせる。後者は所得格差を生み出し、低所得者の労働需要を掘り起こす。この二つのプレイヤーによって移民労働というグローバリゼーションが起こるのである。

 

 

3.スペイン

 

 第2章の分析から今度はスペインの状況をみていく。まず第1節でスペインの移民の状況について確認し、第2節でスペインの移民流出側と流入側、すなわちエチオピアやモロッコと、スペインの両面から分析する。第3節で結論を述べる。

 

3.1 スペインへの移民

 スペインは約4500万人の国で、スペイン統計局によれば、移民の数は2007年で約450万以上であり、人口の約1割が移民ということである。これはヨーロッパ内で最も高い比率である。移民流入数は年々増えており、年間の移民流入数は1999年では約12万だったのが、2006年では80万に達している。流入移民を国籍別でみると、2006年の移民調査によれば、ルーマニア(111,920人)、ボリビア(69,467人)、モロッコ(60,830人)、イギリス(38,497人)、ブラジル(28,249人)の順に並んでいる。

おおまかにスペインへの移民送出地域を分けると、ヨーロッパと中南米、アフリカに分かれる。ヨーロッパでも二つに分かれており、一方はイギリスやドイツなどの老後の生活場としてスペインに来る人、他方はルーマニアやポーランド、ブルガリアなどの東欧からの移民労働者である。

中南米からは上に挙げた国以外にも、コロンビア(27,864人)、アルゼンチン(23,044人)、パラグアイ(19,788人)、ペルー(18,884人)、エクアドル(14,292人)、ベネゼエラ(10,540人)が挙げられる。以前はこれらの国は観光ビザの取得が免除されていたが、不法滞在が問題となり、スペイン政府はペルーやコロンビア、エクアドル、ボリビアなどの国に対して観光ビザの取得を義務付けている。

最後のアフリカだが、2006年の移民調査にはモロッコしか顕著な流入は見られなかった。しかし昨今ボートでの密航によりスペインに入る人々がニュースで取り上げられるほど増えてきている。彼らは身元を証明できるものを所持しておらず、出身国が不明であるため、40日間収容された釈放される。ちなみに2006年で出身国不明者は実に12万3千人にのぼり、この年の総流入移民の約15%にあたる。(18)

 

3.2 分析

 第2章で挙げた二つのプレイヤーである、移民供給側における多国籍企業と、移民需要側の都市を中心にスペインを分析してみたい。

 まず移民供給側からスペインの多国籍企業がどう影響を与えているかを見る。ここでスペインに居住している移民が多い二つの国、モロッコとエクアドルを例に取って、両国の経済および雇用状況の把握と、スペインの多国籍企業の動向を観察する。

まずモロッコはスペインと地中海を挟んですぐのところにあるため、スペインへの移民流出が早い時期から起こっていた。1996年にはすでに約8万人がスペインの外国人居住者としていた(19)。モロッコの産業別雇用数をみると、製造業、サービス業、公的サービスの三つで75%を占める。農業人口は1990年から2000年まで12万7千人から21万人へと増同時期の製造業の雇用数は90年の8万9千人から97年の10万4千人に伸びるが、2000年は8万9千に後退する。

スペインによる対モロッコの直接投資額は年によってばらつきがあるが、1999年は20億ディルハムであり、その年の約12.6%の大きさであった(20)。2004年のモロッコにある多国籍企業としては、タバコ産業のRegie des Tabacsや、非鉄金属生産を扱うLafarge Ciments、小売業のTelyco Marocが挙げられる。

一方エクアドルは2001年からスペインへの移民流出が増え始めた。2007年では合法的な移民労働者は42万にのぼり、スペイン国内に居住している外国人の中でエクアドルは三番目に輩出している国である(21)。労働人口は2005年の調査によると415万人であり、男性は242万、女性は172万である。労働人口の約8割が製造業、接客業、公的サービスに従事している。製造業の雇用数は1990年の41万7千人から2001年の61万へと拡大するが、2003年には48万に減少した。失業者数は1990年の1万4千人から1999年の6万9千人に増えたが、その後は減少した。男女差は製造業にはあまりなく、男性が3万9千人で女性は3万1千人である。しかし全体的にみると女性の失業者数が多く、20歳から24歳では男性が5万5千であるのに対し、女性は7万8千人である。

スペインのエクアドルに対する直接投資は、1999年までは1994年の4200万ドルを除いて、あまり行われなかった。しかし2000年から2002年までは8000万ドルを越える規模の投資が行われ、2002年ではアメリカ、カナダ、イタリアに次ぐ8700万ドルであった(22)。エクアドルにもスペインの多国籍企業が存在しており、エネルギー産業のレプソルや印刷業のSantillanaなどが挙げられる。

以上二国の例から判明したことが二つある。一つは経済悪化と移民の流出の不一致である。エクアドルでは1999年にGDPの減少が見られた。しかし図2より全体の雇用数はむしろ1999年と翌2000年は増加している。実際にスペインへの移民の規模が多くなったのは2001年になってからである(23)。モロッコも小規模だが1992年、1993年は前年のGDPを下回る結果となったが、雇用数は増加していた。もう一つは多国籍企業の影響力である。UNCTADの資料には両国におけるスペインの多国籍企業について記載されており、存在感を示していたが、果たして彼らが本当にイデオロギー的つながりを醸成させるほどの影響力を持っているかどうかは断言できない。より細かい分析が必要である。

次に移民受入側の状況をみる。

 スペインにいる移民の分布を19の地域に分けてみると、マドリード、カタルーニャ州、バレンシア州、アンダルシア州の4つにいる傾向が見える(24)。これらの地域において、居住期間が3年以上で現在働いている移民に対し、最初に就いた職業を聴いたデータがスペイン統計局から出されている。それを見ると建設業や接客業の割合がどの地域も高かった。

 スペインは住宅ブームが続いていた。住宅価格は1995年から2007年までに約3倍まで跳ね上がった(25)。住宅需要が伸び、住宅件数は1997年の36万戸から2006年の91万戸に上昇した。ビル需要も同時期でみると、商業用ビルの件数は7万から16万を記録している。スペイン統計局から出された、居住期間が3年以上で現在働いている移民に対し、最初に就いた職業を聴いたデータをみると、カタルーニャ地方やマドリードでは建設業に従事する移民が他の職業に比べ高い。建設現場における労働力不足を移民が補う形となっているといえる。

 スペインのGDP構成を見るとサービス業が6割を占めている(26)。20年間GDP構成においてサービス部門は60%を維持してきたおり、典型的な先進国型といえる。しかしサービス産業において、従業者50名以下の小規模企業が全サービス産業に占める割合は99%である。

産業別労働許可発行数の内訳から、移民労働者のサービス業が43%、それに順ずる建築が18%であることから、サービス業に従事する移民が多い(27)。サービス産業における外国人労働者の主な職業は家事サービスやホテル業、レストランなどの飲食業とされている。家事サービスの代表例が住宅介護ヘルパーであり、スペイン老人病・老人学協会によれば、

高齢者の80%がラテンアメリカの女性だという。

 以上よりスペインの受入側として言えることは、労働不足を移民労働者で補う構造があったということである。しかしそれは住宅バブルで需要があった建設業や少子高齢化の社会構造の変化によって生まれたニーズを満たすためにサービス業が多く、今回の分析ではニューヨークなどの都市で発生するインフォーマルセクターの発展までは追及できなかったため、グローバル化による都市の影響力は明言できないだろう。

 

3.3 結論

 先に述べた分析からわかったことは、スペインは一部の地域に対してグローバル化による移民労働の発生を促す力を持っている。それはラテンアメリカ諸国に対してである。分析ではエクアドルを採用したが、他の国ではスペインの多国籍企業が躍動している。ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどの国では1980年代後半か1990年末に直接投資を行っている(29)。1993年から1996年の4年間はメキシコとチリを加えた五カ国に対して行った投資がスペインによる外国投資の約9割を占めていた。主要な投資分野は通信・輸送・金融部門であった。(スペイン経済、p.163)石油企業のレプソルや、通信会社のテレフォニカ、金融ではBBVAとサンタンデール・グループといった多国籍企業は中南米の現地企業を買収するという状況を生み出している。特に銀行は現地でリテール業務を行うほど勢力をもっている。このような多国籍企業の活動とスペインはこれらの国の宗主国であった歴史的背景から、イデオロギー的つがなりがより強固となり、移民労働者は増えるではないだろうか。

しかし私にはスペインが1970年代のアメリカのような移民労働者を呼ぶ起すこととなった、多国籍企業と都市の影響力を持っているとは判断しかねる。それは以下の要因が考えられるからだ。

 一つはEUに属していることである。グローバル化によって都市に影響力が増すこととなれば、当然スペイン以外の都市、例えばロンドンやパリといった他の都市の無視することはできない。サッセンの分析によれば各都市はそれぞれが競争するのではなく、役割を分担するネットワークが形成されるという(30)。ならば各都市がどのような役割を負っているかを問いながら、移民労働者のうごきを観察することが有意義と考えられる。

 二つ目は統計と現実の乖離である。今回の分析は文献と統計データを用いたが、移民労働には影の部分がつきものであり、実態が明らかにならない可能性が高い。とりわけ生産の国際化によって衰退してしまった製造業が都市の一部に集約する傾向がある。それを知ることで都市の賃金格差の拡大といった影響を理解することができるであろう。

 

 

4.おわりに

 グローバル化によって移民労働者は増加する。そう私は主張したいが、スペインの分析してから考えていたことがあった。それは受け入れ国の規模である。1970年のアメリカは一国の力をもって移民を吸収してきた。一方スペインのような中堅国では周辺の影響を受ける。だが根本的に捉えておかなければならなかったのは、グローバル化を主権国家単位で考えてはいけないことであった。グローバル化の主役である多国籍企業と都市には国境は関係ないからだ。次の課題としてはマドリードおよびバルセロナの地域単位に絞らなければならないだろう。

 

 

参考文献

1.佐藤忍著、『グローバル化で変わる国際労働市場―ドイツ、日本、フィリピン外国人労働力の新展開』、明石書店、2006年

2.田端博邦著、『グローバリゼーションと労働世界の変容―労使関係の国際比較』、旬報社、2007年

3.伊豫谷登士翁著、『グローバリゼーションと移民』、有信堂、2001年

4.森正広編、『国際労働移動のグローバル化―外国人定住と政策課題』、法政大学出版局、2000年、

5.矢内原勝、山形辰史編、『アジアの国際労働移動』、アジア経済研究社、1992年

6.サスキア・サッセン著、森田桐郎訳、『労働と資本の国際移動―世界都市と移民労働者』、岩波書店、1992年

7.サスキア・サッセン著、大井由紀・高橋華生子訳、『グローバル・シティ ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』、筑摩書房、2009年

8.サスキア・サッセン著、豫谷登士翁訳、『グローバリゼーションの時代』、平凡社選書、2004年

9.山本繁綽著、『国際労働移動の経済学―外国人労働者の受入れ問題の基礎理論』、関西大学出版部、1992年

10.大塚友美著、『国際労働移動の政治経済学』、税務経理協会、1993年

11.佐藤誠, アントニー・J. フィールディング編、『移動と定住―日欧比較の国際労働移動』、同文舘出版、1998年

12.日本労働研究機構編、『労働の国際化』、日本労働研究機構、1998年

13.Santos M. Ruesg著、『スペイン 期限付労働者派遣業―その本格的な出発と問題点』、日本労働研究機構、1999年、海外労働時報、23(9)(通号285).

14.田中素香著、『拡大するユーロ経済圏 その強さとひずみを検証する』、日本経済新聞出版社、2008年

15.戸門一衛・原輝史編、『スペインの経済』、早稲田大学出版部、1998年

16.碇順治編、『ヨーロッパ読本 スペイン』、河出書房新社、2008年

17.リチャード・フロリダ著、井口典夫訳、『クリエイティブ都市論』、ダイヤモンド社、2009年

18.独立行政法人 労働政策研究・研修機構編、『諸外国の外国人労働者受入制度と実態2008』、JILPT資料シリーズ、2008年

19.渡部和男著、『スペインの移民問題 ―中南米よりの移民動向分析』、神戸大学経済学研、2008年

20.碇順治編、『現代スペイン 情報ハンドブック』、三修社、2007年

21.佐藤誠, アントニー・J. フィールディング編、『移動と定住―日欧比較の国際労働移動』、同文舘出版、1998年

22.山本繁綽著、『国際労働移動の経済学―外国人労働者の受入れ問題の基礎理論』、関西大学出版部、1992年



(1) 大塚[1994 P.50-59]

(2) フロリダ[2009 PP.49-74]

(3) サッセン[1992 PP.26-29]

(4) サッセン[1992 P.

(5) サッセン[1992 ]

(6) サッセン[1992 P.33]

(7) サッセン[1992 P.]

(8) 伊豫谷[2001 P.79]

(9) サッセン[1992 PP.150-155]

(10) 伊豫谷[2001 PP.28-37]

(11) サッセン[1992 PP.158-166]

(12) サッセン[1992 PP.166-170]

(13) サッセン[1992 PP.187-188]

(14) サッセン[1992 PP.192-194]

(15) サッセン[1992 PP.193-195]

(16) サッセン[1992 PP.204-209]

(17) サッセン[1992 PP.228-230]

(18) スペイン統計局

(19) 渡部[2008 P.4]

(20) UNCTAD

(21) 独立行政法人 労働政策研究・研究機構[2008 P.69]

(22) UNCTAD

(23) 渡部[2008 P.3]

(24) スペイン統計局

(25) [2007 P.244-245]

(26) [2007 P.227-229]

(27) 独立行政法人 労働政策研究・研究機構[2008 PP.71-72]

(29) 田中[2008 PP.231-232]

(30) サッセン[2009 PP.214-216]